早春の生駒山麓・石切周辺叙景
東大阪市・石切
ーー辻子谷の水車ーー
ーー辻子谷の水車ーー
青色は、今回歩いたコースのGPS軌跡です。
地図上のマーカーをクリックすると簡単な説明を見ることができます。
「発」近鉄奈良線石切駅北口改札前・スタート→①一番太子堂・爪切地蔵→②石仏群→③辻子谷水車→④石切神社奥の院(上之社)→⑤宗教施設が多い所→⑥旧石切駅→⑦石切神社参道商店街→⑧千手寺→⑨旧生駒トンネル・旧日下(くさか)駅跡→⑩料理旅館(永楽館)があった所→⑪日下新池→⑫ヒトモトススキ碑→⑬孔舎衛健康道場跡→⑭旧河澄家住宅→⑮大龍寺→⑯大龍禅寺不動院・日下不動尊→「着」ゴール最寄駅・近鉄石切駅
近鉄奈良線石切駅北口改札前・スタート「発」→①一番太子堂・爪切地蔵→②石仏群→③辻子谷水車→④石切神社奥の院(上之社)→⑤宗教施設が多い所→⑥旧石切駅→次へ
左:近鉄奈良線石切駅北口
右:近鉄奈良線石切駅北口からの景色
近鉄奈良線石切駅
①一番太子堂
左上:四光地蔵(爪切地蔵は反対側・裏側になります)
右上:爪切地蔵
下:四光地蔵・爪切地蔵案内板
①爪切地蔵説明板
②石仏群
大阪市のビル群
③辻子谷水車
③辻子谷水車郷説明板
④石切神社奥の院(上之社)
④石切神社奥の院(上之社)
⑤宗教施設が多い所
昭和39年より前までは現在の場所に近鉄石切駅はなかった。
昭和39年新生駒トンネルが出来るまでは、旧石切駅と孔舎衛坂駅(くさえざかえき)との間にはトンネル(鷲尾トンネル)があった。
昭和39年新生駒トンネルが出来てから、旧石切駅と孔舎衛坂駅は廃止され、旧石切駅と孔舎衛坂駅との中間(鷲尾トンネルがあったところ)に現在の石切駅が出来た。
左上:⑥旧石切駅があった頃のメイン商店街
右上:⑥旧石切駅があった頃の駅沿い。
左下:⑥この後ろに旧石切駅があった。石切神社参道口に駅があった。
右下:⑥旧石切駅が右側にあった
現在の石切駅。
⑦石切神社参道商店街→⑧千手寺→⑨旧生駒トンネル・旧日下(くさか)駅跡→⑩料理旅館(永楽館)があった所→⑪日下新池→⑫ヒトモトススキ碑→⑬孔舎衛健康道場跡~次へ
上:⑦石切神社参道商店街
下:⑦石切神社参道商店街
石切神社へ続く参道の商店街
左上:⑧千手寺(商店街から入る)
右上:⑧千手寺
左下:⑧千手寺
右下:⑧千手寺にある古墳
①
⑧千手寺・在原業平が腰掛けた石
⑧千手寺説明板
大正7年開業当時は日下(くさか)駅だったが、その後鷲尾駅、孔舎衛坂(くさえざか)駅と改称。昭和39年新生駒トンネルが出来て廃駅となりました。
左上:⑨旧日下(くさか)駅跡
右上:⑨旧生駒トンネル
左下:⑨旧日下(くさか)駅ホーム跡(途中でホームが延長されたようです)
右下:⑨白龍大神・トンネル工事犠牲者の慰霊やトンネル安全祈願のために建てられたようです
くさかみち道標
この辺りには大正時代に日下(くさか)遊園地があった。
上:永楽橋の案内石(今は橋はない)
左下:⑩料理旅館(永楽館)だった所
右下:⑩料理旅館(永楽館)だった所
左上:⑪日下新池
右上:⑪日下新池
下:⑫ヒトモトススキ碑
日下遊園地があった頃には、池には貸しボートがあったそうです。
⑫ヒトモトススキ碑説明板
太宰治の小説『パンドラの匣』はこの療養所を題材にしています。
太宰治はこの場所を訪れたことはありません。
左上:⑬孔舎衛健康道場跡
右上:⑬孔舎衛健康道場跡から日下新池を望む
左下:⑬孔舎衛健康道場跡
右下:⑬孔舎衛健康道場跡
⑬日下温泉会館の跡に孔舎衛健康道場が出来た。現在はパンドラの丘と呼ばれているそうです。
⑬孔舎衛健康道場説明板
⑭旧河澄家住宅→⑮大龍寺→⑯大龍禅寺不動院・日下不動尊→「着」ゴール最寄駅・近鉄石切駅
⑭旧河澄家住宅1
⑭旧河澄家住宅
⑭旧河澄家住宅2
カヤの大木
⑭旧河澄家庭園説明板
旧河澄家住宅の一角にある部屋の説明
棲鶴楼と文芸サロン説明板
⑮大龍寺
⑮大龍寺説明板
⑯大龍禅寺不動院
上:日下不動尊
左下:裏の山道を登っていくと右の写真の祠がある
右下:役行者の像との説明だったのか、役行者が彫ったとの説明だったが定かではありません。
夕方になり近鉄石切駅より帰途に着きました。
結構あちこち見て歩きました。
ガイドさんありがとうございました。
Copyright © 2023 ふれあい駅から大阪まち歩き All Rights Reserved.
powered by Quick Homepage Maker 7.3.4
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. HAIK