真田丸の周辺を歩くと戦国時代が見えてくる
赤線は今回歩いたコースのGPS軌跡です。
真田丸はこれからが本番
集合場所のJR玉造駅近くの東小橋北公園
NHK大河ドラマ「真田丸」は、この秋から暮れにかけてが最大のピークを迎える展開になるのでしょうか。
その前に基礎知識として知るべきことを知る旅に出かけたい、と思っても先立つ六文銭がありません。
そんな時、「なにわの宮リレーウォーク」で真田丸関連のまち歩きの募集があることを知り、さっそく応募。
真田丸周辺へは、今年の3月に別のまち歩きで歩いたことがあります。
今回は大坂博物館協会や大阪文化財研究所などが主催なので、最新の情報などが聞けるかもと、期待して参加しました。
私は歴史や地理に興味があるのですが、詳しいことは抜きにして想像するのが好きなのです。
今の風景から昔の事柄を想像するのは楽しいものです。
特に年配の私には頭の体操にもなります。
このブログは参加した様子などの感想を中心に書いています。
コースなど内容の詳細は後日HPに掲載する予定です。
黒門など知らなかった事実がわんさか
二軒茶屋跡の碑
JR玉造駅付近には奈良への道(暗越奈良街道)が通っていて、昔は茶屋が多く並んでいたそうだ。
今は暗渠になっている猫間川にかかる黒門橋跡などの説明もあった。
黒門跡(豊臣期の大阪城内と場外との境にあった門)と聞いて、黒門市場のことかと思いきや、全く関係ないとのこと。
知らないことだらけでした。
通常の「真田丸」のまち歩きでは歩かない場所へも行け、興味深い話も聞けました。
三光神社は大混雑
三光神社
真田丸からの抜け穴があるといわれる、三光神社。
多くの人で大混雑。
しかも単なる観光客というよりは、真田丸についてのガイドさん付のグループが多かったように思いました。
私たちが訪れた場所は、大坂冬の陣の時には徳川方に囲まれていたことでしょう。
そんな場所に真田丸からの抜け穴の出口を作ったら・・・
ただしあまり杓子定規な話ばかりだと、ロマンが無くなる。
いろんな想像するのもいいのかも。
うしろは陸軍墓地。熱心に説明を聞いてます。
私たちのグループではありません。
三光神社から陸軍墓地への途中でも、熱心にガイドさんの説明を聞く風景があちこち見られました。真田丸人気もすごいものです。
高低差が多い真田丸周辺
真田丸周辺はとても高低差がはっきり分かるところが多いです。
ブラタモリの撮影にはもってこいだと思いますが。
NHKブラタモリ、撮影に来てほしいですね。
真田丸の中心部へ
大阪明星学院・真田丸顕彰碑
とうとう真田丸の本丸(主郭)と考えられている真田出丸にやってきました。
真田丸顕彰碑が建てられています。
道の反対側には心眼寺があります。
心眼寺にある、まんなおし地蔵
真田信繁のお墓もある心眼寺。ここも多くの人でにぎわっていました。
境内にある、まんなおし地蔵。
「まんがわるい」人などと関西の人は言うそうです。
「まんがわるい」とは、
巡り合わせが悪いとか時の運が悪いなどの意味で、大阪弁なのでしょうか。
その「まんをなおしてくれるお地蔵さん」ありがたいですね。
まんとは、間が転化したものだそうです。
惣構の内部へ侵入
清水谷公園
豊臣期大坂城惣構南面の堀跡付近だと考えられている、清水谷公園を登りました。
公園を登るということは豊臣時代だと、大阪城内に入ったことになります。
この不届き者めがと、取り押さえられてしまうでしょう。
まち歩きは楽しく知識も増えたようにおもえるのだが・・・
大阪文化財研究所・難波宮調査事務所
まち歩きの最後に大阪文化財研究所・難波宮調査事務所に行き、アンケートを書いて今回の「真田丸かいわいを歩く」まち歩きを終えました。
難波宮調査事務所内の展示物などの説明もしてもらいました。
展示品の写真は後日HPに掲載したいと思います。
今回のまち歩き、よくあるような「真田丸」コースとは少し違う所を歩いたように思います。
なのでとても楽しくいい勉強になりました。
ガイドのみなさん、本当にありがとうございました。
難波宮跡公園・遠くに大阪城天守閣が見えます。
難波宮跡公園内を通って地下鉄谷町線へと向かいました。
難波宮は奈良時代。真田丸は豊臣時代の最後。今の大阪城は徳川時代。
いろんな時代の歴史を感じ取れる大阪とは、なかなかなものです。
大阪には歴史とロマンが、まだまだたくさん埋もれています。
想像力をたくましくして、耳を心を頭を斜めにして昔の人の鼓動を感じ取りましょう。
あー感じちゃった。