帰ってきたペルシャ貴婦人とのであい・を求めて
2015-12-5歴史街道リレーウォーク参加

スタンプ案内人:橿原市観光ボランティアガイドの会

今回歩いたコースのGPS軌跡です。
地図上のマーカーをクリックすると簡単な説明を見ることができます。

参加コース行程

スタート最寄駅:近鉄橿原神宮前駅・中央出口受付~①近鉄橿原神宮前駅西出口・スタート~②益田池堤跡~③築坂邑伝承地標柱~④宣化天皇陵~⑤新沢千塚古墳群~⑥橿原市博物館~⑦鳥屋近隣公園(昼食)~⑧益田岩船~⑨牽牛子塚古墳~⑩岩屋山古墳・ゴール解散~解散最寄駅:近鉄吉野線・飛鳥駅

①近鉄橿原神宮前駅西出口・スタート~②益田池堤跡~
③築坂邑伝承地標柱~④宣化天皇陵

歴史街道歩くぞー!

①近鉄橿原神宮前駅西出口・スタート~

近鉄橿原神宮前駅西出口・スタート
近鉄橿原神宮前駅西出口・スタート
各グループごとに出発です。

②益田池堤跡

市中をしばらく歩きました。
高取川にかかる橋に差し掛かりました。益田池堤跡はすぐそこです。

益田池堤跡1
益田池堤跡1(上左)高取川


益田池堤跡2
益田池堤跡2(上)益田池堤の上からの景色

益田池堤とは

平安時代に築かれた貯水池。

益田池堤説明板1
益田池堤説明板1:画像クリックで拡大

益田池堤説明板2
益田池堤説明板2:画像クリックで拡大

③築坂邑(つきさかむら)伝承地標柱

築坂邑伝承地標柱
築坂邑伝承地標柱

築坂邑とは
角川地名大辞典より

詳しいことはよくわかりませんが、道臣命が宅地を与えられた場所のようです。
では「道臣命」とは誰なのか。

道臣命(みちのおみのみこと)をウィキペディアでどうぞ。

神武天皇即位後はじめて政務を行う日、道臣命は諷歌(そえうた)・倒語(さかさご)をもって妖気を払った。
神武天皇即位の翌年、東征の論幸行賞として築坂邑(橿原市鳥屋町付近)に宅地を賜わり、特に目をかけられたと記されている。

ーーーウィキペディアよりーーー


④宣化天皇陵(せんかてんのう陵)

宣化天皇陵
宣化天皇陵
(上左)宣化天皇陵へ行く途中に見える畝傍山
(下右)今回歩いたグールプのガイドさんです)

宣化天皇陵とは

別名ミサンザイ古墳。全長138mの前方後円墳。詳しくは下記の説明を見て下さい。

⑤新沢千塚古墳群~⑥橿原市博物館~⑦鳥屋近隣公園(昼食)

午前中残りのコースを頑張って歩く!

⑤新沢千塚古墳群(にいざわせんづかこふんぐん)

たくさんの古墳にとても驚いた。

新沢千塚古墳群
新沢千塚古墳群
(上左)宣化天皇陵から新沢千塚古墳群へ。正面の山は畝傍山。
(上右)異様な光景。でもこれが新沢千塚古墳群の一部だった。
(下左右)新沢千塚古墳群公園

新沢千塚古墳群は広範囲に及びます。その一部が公園になっています。
日本有数の大古墳群だそうです。

お椀を伏せたような小さな古墳がいっぱいの新沢千塚古墳群公園です。

ペルシャ貴婦人に出会う

出土品説明板1
出土品説明板1:画像クリックで拡大
埋葬品は重要文化財だそうです。
貴婦人が埋葬されていたようです。

出土品説明板2
出土品説明板2:画像クリックで拡大

出土品説明板3
出土品説明板3:画像クリックで拡大

新沢千塚古墳群からは周辺の山々が見えます

古墳群は小高い丘のようになっているので、周辺の山々を眺めるいい場所がいくつもあります。

畝傍山と二上山
(上)古墳群から眺める畝傍山。
(下)古墳群から眺める二上山

⑥橿原市博物館

新沢千塚古墳群公園に隣接する形で、「歴史に憩う橿原市博物館」があります。
平成26年4月1日にオープンした新しい博物館です。

新沢千塚古墳群からの出土品や藤原京などのコーナもあり、楽しめます。
今回はあまりゆっくりできませんでした。

「歴史に憩う橿原市博物館」
「歴史に憩う橿原市博物館」
展示品例:重要文化財(レプリカ):ガラス碗、ガラス皿、熨斗(今のアイロン)

出土した木棺
埋葬復元イメージ:ペルシャ貴婦人が埋葬されていたのかな

展示品はレプリカもありますが、出土したそのままのものもあります。
重要文化財に指定された出土品などは、東京国立博物館などで展示されています。

金の装飾品など目を奪われるほど精巧なものが多かったです。
ぜひ皆さんも訪れてみてください。

⑥橿原市博物館から⑦鳥屋近隣公園(昼食)へ

午前中の見学も終え、昼食場所の鳥屋近隣公園へ歩きます。

鳥屋近隣公園へ行く途中です
鳥屋近隣公園へ向かって歩きます
途中、宣化天皇陵の濠や古墳があちこちにありそうな場所を歩きました。

⑦鳥屋近隣公園に到着

鳥屋近隣公園
⑦鳥屋近隣公園

12月でしたがすごく寒いわけでもなく、この公園で昼食をとりました。
後半のコース歩きのために、エネルギー充電です。

⑦鳥屋近隣公園~⑧益田岩船~⑨牽牛子塚古墳~⑩岩屋山古墳・ゴール解散

午後のコーススタートです

⑧益田岩船へ

今回の歴史街道リレーウォークで一番のオススメ「益田岩船」へと出発です。

ただ「益田岩船」のある山に登るには少し足場の悪いところがあるので、どうしても山を登るのが苦手な人は益田岩船をパスしてもOK。

大半の人は益田岩船へと歩き始めました。

益田岩船へ歩き出す
益田岩船へと歩き出す
(下)益田岩船への登り口近くの公園

益田岩船とは

難しいので説明板画像をどうぞ

益田岩船説明板1
益田岩船説明板1:画像クリックで拡大

益田岩船説明板2,画像の説明
益田岩船説明板2:画像クリックで拡大

岩船山を登る
岩船山を登る

益田岩船
益田岩船でーす
(下)上の方はこんな感じです

登りの途中足場の悪いところもありましたが無事登り切りました。
益田岩船大きいです。何に使う予定だったのでしょうか。
周囲は竹で覆われていました。展望きかず。

益田岩船の用途は今も不明。いろんな説が飛び交います。真実は一つ。
でも誰にもわからない。

⑧益田岩船から⑨牽牛子塚古墳へ

牽牛子塚古墳への途中

⑧益田岩船から⑨牽牛子塚古墳へ山の尾根を歩きました。
尾根歩きですが大きな竹が密集していて歩きにくいです。
一人で歩くには迷わぬか不安のある山歩きです。
地理に詳しい人と行くべきだと思いました。


⑨牽牛子塚古墳

やっと牽牛子塚古墳が見えてきました。
古墳はシートで覆われていました。
牽牛子塚古墳のことは今回初めて知りました。恥ずかしや。

牽牛子塚古墳
牽牛子塚古墳

牽牛子塚古墳
牽牛子塚古墳石柱

牽牛子塚古墳内部

牽牛子塚古墳内部
牽牛子塚古墳内部

牽牛子塚古墳とは

八角形の古墳。珍しいです。でも全体が見れないので八角形だとはわかりません。
出土品から天皇クラスの墓だと推定されるそうです。

牽牛子塚古墳説明板
牽牛子塚古墳説明板:画像クリックで拡大します

牽牛子塚古墳のある場所は橿原市ではなく明日香村なんですね。
橿原市から明日香村へ歩いてきました。頑張ったよね。


⑨牽牛子塚古墳をあとにして⑩岩屋山古墳・ゴールへ

最後の歩きです。

⑨牽牛子塚古墳から⑩岩屋山古墳・ゴールへ
⑨牽牛子塚古墳から⑩岩屋山古墳・ゴールへと歩きます

岩屋山古墳・ゴールへと歩きます
⑩岩屋山古墳を目指して。時刻も午後2時を過ぎました。

⑩岩屋山古墳・ゴール解散

牽牛子塚古墳から岩屋山古墳へ
牽牛子塚古墳から岩屋山古墳へ

⑩岩屋山古墳到着ゴールです

今回のコースのゴール岩屋山古墳に着きました。
この古墳を見学したら解散です。
と言っても、最寄りの近鉄飛鳥駅はすぐそこ。

岩屋山古墳
岩屋山古墳

岩屋山古墳とは

岩屋山古墳説明板
岩屋山古墳説明板:画像クリックで拡大します

ゴールの岩屋山古墳からの最寄駅は近鉄飛鳥駅

「歴史街道リレーウォーク・帰ってきたペルシャ貴婦人との出会い」
無事見て歩いてまわり終えました。
初めて訪れるところばかり。しかも知らないことだらけ。

ほんの少しだけ知識が増えたかな。
いろいろ教えていただいたガイドの皆さん、ありがとうございました。

近鉄飛鳥駅
近鉄飛鳥駅

この次は飛鳥を訪れるかな。