地図表示に少し時間がかかる場合があります。
青色は、今回歩いたコースのGPS軌跡です。
地図上のマーカーをクリックすると簡単な説明を見ることができます。

参加コース行程

「発」地下鉄御堂筋線なんば駅南南改札口前~①大阪府立体育会館(エディオンアリーナ大阪)~②大相撲大阪場所土俵祭り~③難波御蔵・難波新川跡~④裏難波(うらなんば)~⑤榎地蔵尊(榎神社)~⑥千日前~⑦千日前通り~⑧昔ながらの路地裏~⑨法善寺横丁1~⑩法善寺横丁2~⑪道頓堀界隈~「着」ゴール・道頓堀戎橋周辺~「◎」解散最寄駅・ナンバウォークを経てJR難波駅へ


1:大相撲大阪場所まち遊びスタート①~②~

「発」地下鉄御堂筋線なんば駅南南改札口前~①大阪府立体育会館(エディオンアリーナ大阪)~②大相撲大阪場所土俵祭り~次へ

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スタート~①大阪府立体育会館(エディオンアリーナ大阪)~②大相撲大阪場所土俵祭り~


スタート・地下鉄御堂筋線なんば駅南南改札口から

地下鉄御堂筋線なんば駅_画像

地下鉄御堂筋線なんば駅

①大阪府立体育会館(エディオンアリーナ大阪)&②大相撲大阪場所土俵祭り

①大阪府立体育会館(エディオンアリーナ大阪)&②大相撲大阪場所土俵祭り_画像

左上:①大阪府立体育会館(エディオンアリーナ大阪)

右上:①大阪府立体育会館(エディオンアリーナ大阪)・大相撲の旗がハタハタしています。

左下:②大相撲大阪場所土俵祭り・入り口

右下:②大相撲大阪場所土俵祭り・優勝杯と優勝旗


②-1大相撲大阪場所土俵祭り

②大相撲大阪場所土俵祭り_画像

左上:②大相撲大阪場所土俵祭り

右上:②大相撲大阪場所土俵祭り・会場の様子

左下:②大相撲大阪場所土俵祭り・内部の様子

右下:②大相撲大阪場所土俵祭り・座布団が積まれていた


大相撲大阪場所土俵祭り

②-2大相撲大阪場所土俵祭り・力士も参列

②大相撲大阪場所土俵祭り・力士も参列_画像

②大相撲大阪場所土俵祭り・力士も参列。稀勢の里も

②-3大相撲大阪場所土俵祭り・力士の表情

大相撲大阪場所土俵祭り・力士の表情_画像

鶴竜、白鵬、日馬富士のモンゴル3人横綱や新横綱、稀勢の里など力士の表情です。大阪出身豪栄道も頑張れ。

②-4大相撲大阪場所土俵祭りは神事

②大相撲大阪場所土俵祭りは神事_画像

左上:大相撲大阪場所土俵祭り・参列する力士

右上:お神酒をいただく親方衆。

左下:大相撲の旗?がはためいています。

右下:座席の下の様子です。


2:大相撲大阪場所まち遊び中盤③~⑦~

③難波御蔵・難波新川跡~④裏難波(うらなんば)~⑤榎地蔵尊(榎神社)~⑥千日前~⑦千日前通り~次へ

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③難波御蔵・難波新川跡~④裏難波(うらなんば)~⑤榎地蔵尊(榎神社)~





大相撲大阪場所の土俵祭りの見学を終え、ミナミの街を案内してくれました。

③難波御蔵・難波新川跡

③難波御蔵・難波新川跡_画像

③難波御蔵・難波新川跡

③難波御蔵・難波新川跡の説明

③難波御蔵・難波新川跡説明板画像

③難波御蔵・難波新川跡説明板

江戸時代の難波御蔵・難波新川地図
改正増補国宝大阪全図文久3年・1863 「古地図で歴史を歩く」付録より

江戸時代の難波御蔵・難波新川や難波・道頓堀周辺の地図です。
黒丸数字は現在の大まかな場所です。

④裏難波(うらなんば)

正直言って「裏なんば」、初めて聞く言葉でした。恥ずかしい限りです。
裏なんばとは、
「難波駅の東側に位置し、北は千日前から南はなんさん通り、東は黒門市場から西は高島屋あたりまでの界隈を指す」そうです。
今、最もアツイエリアだそうです。

④裏難波(うらなんば)_画像

④裏難波(うらなんば)。古いお店が残っている。

⑤榎地蔵尊(榎神社)

⑤榎地蔵尊(榎神社)_画像

⑤榎地蔵尊(榎神社)・江戸時代この辺りにはお墓(千日墓所)があったそうです。

⑤榎神社の説明

⑤榎神社説明板画像

⑤榎神社説明板

⑥千日前~⑦千日前通り


⑥千日前・⑦千日前通り

千日前の由来

「道頓堀の南東に位置し、演芸場や映画館などがある娯楽街になっている。西隣の難波にある法善寺と竹林寺で千日念仏が唱えられていたことから、両寺(特に法善寺)が千日寺と呼ばれ、その門前であることに由来する。」ーーーウィキペディアよりーーー

⑥千日前・⑦千日前通り_画像

左上:⑥千日前・江戸時代この辺りは刑場だった。

右上:⑦千日前通り・大正時代以降に出来た道路。

左下:千日前通りを渡りきり、ビッグカメラ方向を望む

右下:道頓堀へ続く千日前のアーケード

⑥千日前・⑦千日前通り

江戸時代大坂の町は大坂三郷と呼ばれる北組、南組、天満組の3組に分かれていました。
そのうちの一つ南組は道頓堀より北側まででした。
つまり今の難波や千日前は大坂の町には入っていませんでした。
大坂の町のはずれだったのですね。

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江戸時代の千日前周辺地図です。
赤の⑥が現在の⑥千日前の場所です。
大まかです。

刑場の入り口には黒門と呼ばれる門がありました。
黒門市場の黒門とは関係ありません。

黒門市場とは
「文政期頃からこの辺りで鮮魚商人が見られるようになったが、市場として開設されたのは1902年(明治35年)2月で、当初は圓明寺市場と呼ばれた。圓明寺市場の名はかつて市場近くにあった寺院に由来するが、この寺院の山門が黒塗りであったことから黒門市場と通称されるようになり、現在ではもっぱら黒門市場の名で知られる。なお、圓明寺は1912年(明治45年)1月の大火で焼失し現存しない。ーーーウィキペディアよりーーー」

圓明寺は東住吉区に移転しているそうです。

3:大相撲大阪場所まち遊び終盤⑧~「◎」

⑧昔ながらの路地裏~⑨法善寺横丁1~⑩法善寺横丁2~⑪~道頓堀界隈~「着」ゴール・道頓堀戎橋周辺~「◎」解散最寄駅・ナンバウォークを経てJR難波駅へ

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⑧昔ながらの路地裏~⑨法善寺横丁1~⑩法善寺横丁2~


⑧千日前アーケード街・昔ながらの路地裏

⑧昔ながらの路地裏_画像

⑧千日前アーケード街昔ながらの路地裏

⑨法善寺横丁1

⑨法善寺横丁1_画像

左上:⑨法善寺横丁

右上:⑨法善寺横丁

左下:⑨法善寺横丁への入り口門

右下:⑨法善寺横丁・水かけお不動さん

⑨法善寺横丁1

⑩法善寺横丁2

⑩法善寺横丁_画像

左上:⑩こちらも法善寺横丁

右上:⑩この看板は藤山寛美さんが書いたものだそうです。

左下:⑩途中から浮世小路へ入りした。

右下:浮世小路

⑩こちらも法善寺横丁

⑪道頓堀界隈~「着」~「◎」


⑪道頓堀界隈~「着」ゴール・道頓堀戎橋周辺

⑪道頓堀界隈~「着」ゴール・道頓堀戎橋周辺_画像

左上:⑪道頓堀界隈・浮世小路から出てきたところ

右上:⑪道頓堀界隈

左下:⑪道頓堀界隈・竹本座跡。昔は角座や中座など劇場が並んでいた。
今は新しい店が大半です。時代の流れですね。

右下:「着」ゴール・道頓堀戎橋周辺


その後JR難波駅から帰途につきました。
ガイドさんお疲れ様でした。